武田軍の足軽大将リューザキ弾正、通称リュー弾♪またの名をカラボリーナ・ドルイスカヤ(爆)最近、草弾師匠という官位(笑)も授かりました☆ 諸国、諸時代、諸かるちゃーを 徒然なるままへめぐります


by リューザキ弾正
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剣禅一如の人~山岡鉄舟~

f0182920_176312.jpg「龍馬伝」とは、かけ離れたところで、幕末フェスティバルが続いております(^^;)幕末スキー(注;佐幕派)ですが、
勉強の足りないリュー弾にとって、手強い人が、山岡鉄舟です。
身長188cm超。
幕末のスカイツリー(^^;;)いや、明治期においてもスカイツリー(^^;;;)
しかし、一筋縄ではいかない人生を送っております。
前記事でご紹介させていただいた「南京かぼちゃ」のあだ名を持つ、身長154cmぐらい(^^;)の大鳥圭介は、分かりやすいと言えば、分かりやすい(笑) ← チョー失礼(^^;)



 「山岡鉄舟」
 小島英熙 著
 日本経済新聞社刊

(ただ今、絶版です)
この本を読めば、山岡鉄舟のことを
多少なりとも分かるかと思えば、人生は一応辿れますし、人となりも見えてきますが、
やっぱり分からない・・・としか言いようがありません。


幕臣ですが、尊皇攘夷派の人。清河八郎と尊皇攘夷の勉強会「虎尾の会」を発足。
尊皇攘夷運動に傾倒します。(しかし、幕府方尊攘派の水戸派とは一線を画しております)
英国通詞ヒュースケン暗殺は、虎尾の会メンバーの仕業です。
14代将軍家茂公上洛に合わせて、清河と共に、浪士隊を結成を画策。
京に着いたところで、いきなり、この浪士隊は尊王の尖兵であると宣言されて、
幕府は、慌てて江戸に戻るように浪士隊に指示を出します。(生麦事件関連鎮圧の名目)
この折り、「浪士隊」と袂を分かって京に残った一党が、「新選組」となります。

さて、上の一件で蟄居謹慎状態(^^;)
もともと剣を極め己が心を鍛錬するのを人生の目標としていますから、
剣術の修行に明け暮れていたのでしょう。
実際、この時期、山岡鉄舟が、どう動いていたかは今ひとつ謎です。

そうこうしているうちに(をいをい!)、戊辰戦争勃発。15代将軍慶喜公が、
松平容保公らを連れて、密かに大阪城を脱出、江戸へ戻り、幕府の趨勢は決まります。
この後、ひたすら恭順の道へと行くのですが。
寛永寺蟄居の慶喜公の下に、討幕軍が、駿府にまで来ている旨が伝わります。
狼狽した慶喜公は、近習の高橋泥舟(精一郎)に、
「自分が恭順を貫く方針を朝廷に奏して欲しい」と頼みます
しかし、いざ、高橋が駿府へ出向こうとすると、「伊勢(高橋)がいなくて、誰が余を守る?」
「余の意を伝えに行ける役目の者、余の傍に居て守る者、伊勢が二人いればなぁ」
この、慶喜公の嘆きに、高橋は義弟の山岡鉄太郎(鉄舟)を推挙します。
山岡は、慶喜公に召しだされ、ひたすら恭順の本意を示され、
その後、勝海舟と打ち合わせた後、一人で、駿府の本営に向かいます。
陣営にズカズカ入って行き、警護の兵士に誰何を受けると大音声で、

「朝敵 徳川慶喜が家臣、山岡鉄太郎、罷り通る!」(爆) 言っちゃたよぉ~ (゜∀゜;ノ)ノ ・・・まぁ、尊王派だからこそのこの発言か(^^;)
その迫力と「徳川慶喜」の名前に兵士は狼狽、山岡は西郷の陣所に辿りつきます。
ここで、西郷と江戸幕府側の話し合いの場が取られることになり、江戸無血開城へと、
歴史は動いていきます。


で、明治となり(はぁ~ざっくり)、元幕臣の山岡は、乞われて10年間だけ、という約束で、
宮内省の侍従となり、明治帝に仕えることになります。
尊王派の人ですから、この行動には甘利、矛盾は感じません。
明治帝とのエピソードをたっぷりと残し(^^;)約束の10年後に辞任。
 
一番有名なのは・・・頗る酒を徹飲し相撲好きの帝。侍従はほとほと困りかねていました。
  ある時、明治帝は、鉄舟に「山岡は撃剣をやるそうだな。相撲はどうだ」と挑みます。
  鉄舟はいなしますが、激怒した帝が拳を振るうやこれを取り押さえ、他の侍従は仰天!
  「臣下を無体に傷つける君主とさせる訳には参りません!」と言い切り、
  帝にも、深酒と趣味の相撲の自重を促します。そのまま屋敷に戻り、自主蟄居(^^;;)
  後日、帝から呼び出され、酒と相撲の件、了承したから
  引き続き出仕するよう鉄舟は、命を受けます。
  懲りたのか、明治帝、酒は口にしません。
  事件から、一ヵ月後、鉄舟は、明治帝に葡萄酒を1ダース献上して、
  それが帝の禁酒解禁となった、と言われております(^^;;;;)


こんな感じで(笑)侍従エピソードを残しつつ、お役目をきちんと果たすと同時に、
幕末時代そうであったように、道場主として、誰彼と無く弟子や訪問者(含む暗殺者)の
世話を道場で焼き続ける清貧の日々を送ります。
また、鉄舟の侍従時代に、江戸の趨勢を共に決めた、盟友・西郷が
下野する直前に、彼に会いに来ています。
その後も、何くれと無く、人の世話を焼きつつ、剣禅一如の大悟を得るまで修業を続け、
大悟を得ても修行を続けます。


叙勲を最初断り、死の一年前に爵位を得た時も
 「食うて寝て 働きもせぬご褒美に 蚊族(華族)となりて 又も血を吸う」
                          と詠んでおります。

 勝海舟が、自分が、「四尺」の小人物に見られるのは遺憾!とごねて、
  「子爵」から、「伯爵」にして貰ったのとは、好対照ですね~(^^;)


幕臣の中の尊皇攘夷派。明治近代化路線時代における剣禅一如の修業。
矛盾しているのか、山岡の中では一致を見ているのか・・・
後者(修行)は、時代に流されない彼の気風を見てとることも出来ますが。
私の中では、まだ「一如」の形をとっていない人物であります。


ただ、言えるのは、よく人物評価の論評の中で、「彼が戦国乱世に生きた人物なら」とか、
「彼が太平の世に生を受けていたら」という喩えが出てきます。
徳川慶喜は、幕末のあの時点での将軍でなければ、明晰な教養人だった彼のこと、
恐らく、江戸幕府歴代随一の名将軍と評されていたかも知れませんし、
松平忠輝は、乱世真っ只中の激しい戦場の時代なら、もっと輝けた人物かもしれません。

しかし、山岡鉄舟という人物は、どの時代に生きても、思想を変えず、
懐に飛び込んでくる人物(含む暗殺者 ^^;)の面倒を見まくり、功も名も欲しがらずに生きる人物の様に思えます。

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by salieri777 | 2010-04-07 10:38 | 幕末つれづれ