上杉軍は鞭声粛々・・・どの山を降りた?~川中島異聞~
2010年 04月 10日
さて、第四次 川中島の合戦。
説明不要ですが・・・・
一応ざっくり解説。
上杉軍到来の知らせが、海津城から甲府の武田信玄の元へ。
武田軍進軍。茶臼山(信濃國)に陣を張るものの、一旦、海津城へ。
上杉軍は妻女山に陣を張ったまま、事態は膠着。
膠着事態打開で、いわゆる啄木鳥戦法に打って出る武田軍。
本軍は、八幡原。別働隊が妻女山の上杉軍本陣へ。
城の動きを悟った上杉軍は、裏をかいて妻女山を下山。
鞭声粛々と千曲川を渡河。
翌朝早く、八幡原で信玄軍本隊は、上杉軍と真向かう状態に。。。
はぁ~、ざっくり、ざっくり (゜∀゜;ノ)ノ
さて、今回、問題にしたいのは、上杉軍が陣を設営した妻女山です。
展望台があり、招魂塚があります(もっとも戊辰戦争の慰霊碑ですが)
国土地理院の地図にも、ここが妻女山と記載されているのですが・・・・
誤解と誤記載だったようです(爆)
実は、現在、「妻女山」とされている山は、「妻女山」ではなく、
古来から「赤坂山」と呼ばれたところ。
上杉軍が陣をはった「妻女山」は、「斎場山」と地元の人が呼んでいる山の方であり、
取材に来る小説家も、史跡訪問の歴史マニアも、違った方に行っていたようです。
ええ、過去、リュー弾も、こちらを訪ねて満足しちょりました(;_;)
誤解されたまま幾星霜(^^;)
地元から、実際はこっちだよぉ~♪と、正誤を問う声が上がってきております。
詳しくは、コチラへ 妻女山の歴史や実際の登山等の情報を詳細に紹介して下さってます。
リューザキ弾正。いつの日か、リベンジして、本物の妻女山に登ろうと思います!
ただし、蜂、マムシ、熊が出る、難所のようです ひぃぃぃ~ (゜∀゜;ノ)ノ
実行の際は、重々気をつけて、きちんと準備をして望む所存です。