武田軍の足軽大将リューザキ弾正、通称リュー弾♪またの名をカラボリーナ・ドルイスカヤ(爆)最近、草弾師匠という官位(笑)も授かりました☆ 諸国、諸時代、諸かるちゃーを 徒然なるままへめぐります


by リューザキ弾正
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勘助と官介~戦国呼称私見~

戦国武将好きです、本とか持ってます♪
やっぱり、真田幸村が好きです、その生き様、カッコいいですよね
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この言葉をお聞きになって、(「チッ!史実には「幸村」なんていないよっ!)047.gif
と、心の中で密かにお思いになる同士の皆様、こんんちは!(笑)

相手が、これから自分も、もっと武将について調べて行きたい!

そのような意気込みが、感じられると、「幸村は本当は、真田信繁と言うんですよ」と、

お節介に説明したりします。滅多にありませんが・・・ヽ( ̄- ̄ )ノ


真田昌幸が次男誕生の折り、その子に、

兄・信玄公の右腕となって支えた弟君・信繁公の様になって欲しいから名付けた説を、

説明して、感動されたりすると・・・やっぱり、嬉しい気持ちが起こらない訳はありません。

ま、もっとも真田信繁の生き様は、そうはならなかったのですけどね(^^;)


さて、真田幸村。「幸」は、真田家とその本流の海野家由縁の、諱です。

しかし、真田昌幸次男の名前は史料によれば、「真田信繁」です。

同時代の史料には、「真田幸村」の前は名前はありません。

何処から「幸村」の名前が出てきたか・・・諸説ありますが。

江戸から派生した、真田十勇士の伝説と共に「幸村」はいます。


さて、武田家の歴史等を書いた、「甲陽軍鑑」には、武田家の家臣・山本勘助が出てきます。

しかし、他の同時代史料には、その名前はなく、やがて架空の英雄だったとの説が主流となります。

海音寺潮五郎作「天と地と」では、小説の冒頭に、

「山本勘助、いなかった説で行きま~す」と明記され、伝説の軍師・山本勘助は登場しません。

ところが、大河ドラマになった折り、信濃から北海道に移住された、市河家から、

市河氏宛の武田信玄の書状と、それを持参した使者・山本官助の名が明記されたものが発見!

一時、架空の人物・伝説の物語だけの登場人物扱いだったのが、実在説が浮かび上がります。

そして、去年のアレの放映中に群馬県の旧家・真下家の倉から、信玄公書状が発見!

その中には、山本官助に小山田信有を見舞うよう命じた書状も出てきます。

武田家の家臣に、確かに「ヤマモトカンスケ」なる人物がいて、

その、ヤマモトカンスケは、下っ端ではなく、使者や、重臣の見舞いを命ぜられる位の

人物であったことが、窺われれます。


そして、最初に戻るのですが・・・武田家の家臣・山本勘助が・・・と話して、

チッ!ナニあやふやな甲陽軍鑑の呼び名使っているのぉ?

戦国スキーなら、ちゃんと「山本官助」とか、「山本官介」という史料の名を使えよっ!(苛立ち)

な~んて、ことになるのでしょうか(笑)


それは、それで、ウキウキするなぁ~(///∇//)056.gif
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by salieri777 | 2010-08-28 09:13 | 戦国つれづれ