この奥に、ホタルの墓あります(爆)
2010年 09月 18日
母・弾正特派員のレポです。
滋賀県にある、京極家の墓所だそうです。
家臣・浅井氏の台頭により、没落した京極家。
京極家の歴史から見れば、京極高次は、中興の祖となります。
京極高次の墓のみ、石廟となっているそうです。
しかし、下写真にある、付近のマンホールの蓋の図柄 ( ̄○ ̄;)
露骨過ぎるだろう−ー(泣笑)
戦国スキーさん以外、以下の説明文をどうぞ♪
京極高次は、本能寺の変の後、明智光秀側に付き(汗)
関ヶ原では、当初、西軍に付くものの、家康側に寝返り、
籠もっていた、大津城を西軍に攻められ、頭を剃って、高野山へ脱出!
明智光秀側に付いちゃった一件は、秀吉の側室になっていた、姉の京極殿に
とりなして貰い、許しを得ます。
関ヶ原の一件は、妻の、初(浅井三姉妹次女)が妹の秀忠正室にとりなして貰い、
ついには、若狭国に、三十万石の領地を拝領。
そのため、姉や妻の威光で輝いた、蛍大名と揶揄されました(涙)