MASAKADO!! ~N田屋災難異説譚~
2011年 01月 07日
去年の一大トピックと言えば、アレでございますが、
事件そのものに関しては、甘利とやかく言うつもりはありませぬ。
マスコミ狂乱の態も甘利にも・・・な感じですし。
その中で、唯一、目を引いた噂話が・・・
成田屋に見舞われている災難の数々は、将門公の呪いである!というものでした。
ちょっと、成田屋と平将門公について補足説明しますね!
※子宝に恵まれない初代市川團十郎が、御近所の成田山新勝寺にお祈りしたら、
目出度く、男の子誕生(二代目市川團十郎となります)
御礼に成田山の御不動様由縁の歌舞伎を奉納し、以来、屋号が成田屋となった。
成田山新勝寺と歌舞伎の成田屋の深い縁は未だに続いております。
※その、成田山新勝寺は、平安時代起きた、「平将門の乱」を治めることを祈願して
建立された寺です。
(成田山では、毎年節分に、大河ドラマの主役の豆まきが恒例ですが、
平将門主役の際は行われていないほど徹底されております)
※平将門公の首塚は大手町にありますが、神田明神は、将門公の「身体」を祀ったと、
言われております。両方の場所は、無礼は出来ない場所であります。
現代においても、平将門公は、常にナイーブな事柄となっております。
こういう風に、元々、平将門公、成田山新勝寺、そして、歌舞伎の成田屋には、
それぞれに、関わりがあるのですが・・・
今回、知ったのが、次の話です。
日本橋の日銀近くに、成田屋・市川家の由縁の場所があり、地元の人の働きかけで、
市川宗家選定・歌舞伎十八番のひとつ「助六由縁江戸桜」から、名前が取られ、
「江戸桜通り」と命名されました。
基点には、当代の團十郎丈の揮毫による石碑も立っております。
しかし、ここいらは、もちろん神田明神の氏子の土地柄。
通りの発展を祈って依頼した人たちとは別に、反発する人たちも、もちろんありました。
神田明神にお参りしたら、成田山新勝寺にお参りしてはいけない、と言われているのに、
この神田明神氏子の土地のど真ん中に、成田山新勝寺に帰依する成田屋由縁の
場所をこしらえるのは、何事ぞ!・・・と、言う訳です。
そして、この碑が建ったあと、團十郎丈の重篤な病気が二度あり、
「将門公の呪いだ」と言われたそうです(無事完治しましたけど)
そして、今回の災難(と言えるかな?)に見舞われました。
一連のトラブルは、江戸桜通りの石碑建立後ですので、ここいら辺りの人々は、
将門公の怒りをかっているから、との噂があるそうです。
実に、ビミョーな事柄ではありますが・・・
とりあえず、ガンバレ!成田屋!歌舞伎界のために!