武田軍の足軽大将リューザキ弾正、通称リュー弾♪またの名をカラボリーナ・ドルイスカヤ(爆)最近、草弾師匠という官位(笑)も授かりました☆ 諸国、諸時代、諸かるちゃーを 徒然なるままへめぐります


by リューザキ弾正
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フキンシンなハナシ

さて、この話題を出してよいものかどうか、
その判断は、個人差があると思います。

まあ、こんなこともあると、思って頂けたら。

予防線はここまで(汗)

父が身罷りました時、母・弾正とその弟妹たちは、遠国におりました(爆)

今年に入って、悪化した父の容体が、低飛行ながらも、安定を見せていたので、母・弾正の看病慰労のための遠国滞在でした。

私が、叔父に一報を入れました。
一同、瞬間、絶句したものの、すぐさま全員で引き返すことを決めたそうです。

帰りの便を速急に取り、速やかに陣を引き払い、当夜のうちに、戻って参りました。

母・弾正が、帰って来て一言「秀吉の中国大返しみたいだった」(爆)

退き際の見事さは、武田軍の三弾正一族の末裔の面目躍如でしょうか。

母いわく「秀吉じゃなくて、そっちかぁ!」

忘れちゃ困るぜ!

血筋でしょうか? いいえ誰でも
(金子みすゞ風な締めにしてみました)


※戦国スキーさん以外向けの解説

「秀吉の中国大返し」
現在の岡山県で戦を繰り広げていた羽柴秀吉が、陣中で、本能寺の変の一報を聞き、直ぐさま、猛スピードで、岡山県から大阪に大行軍で戻って来た。らしい。


「武田の三弾正」
武田信玄の家臣で、弾正忠の官職を名乗った者。

「逃げ弾正」こと、高坂昌信。
熱くなって深追いしがちな戦場で、退き際の見定めが上手く、逃げ弾正の異名を取った。

「攻め弾正」真田幸隆。「槍弾正」保科正俊と合わせて、武田の三弾正、あるいは、戦国の三弾正と呼ばれております。
ちなみに、母方は、逃げ弾正の一族の末裔と言われている家の出身です。
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by salieri777 | 2011-11-13 09:55 | 未分類