「姥ざかり 花の旅笠~小野宅子の『東路日記』」読了!
2013年 07月 01日
「姥ざかり 花の旅笠~小野宅子の『東路日記』」
著 田辺聖子 注:リンクは文庫版の方を貼ってあります。
これは、江戸の天保時代に女4人で、九州北部から旅立ち、
伊勢参り、京大阪観光、善光寺詣で、日光東照宮参拝、お江戸、鎌倉・・・
楽しく旅した商家の御寮人さんの残した旅日記を、
田辺聖子女史が、記述を踏まえつつ、平易な表現と注釈付きで、
紹介した作品です。
読みにくい(笑)
考えてみれば、彼女の作品を読むのは初めてでした。
とかく、自分が出てくる(^^;)
旅日記を残した、小野宅子(いえこ、と読みます。俳優の高倉健さんの五代前の御先祖)の、
感慨と思って読むと、田辺聖子女史の感慨だったり、
小野宅子著の「東路日記」の著述のくだりを再現かと思ったら、
田辺聖子女史の妄想シーンだったり(^^;;)
・・・と、文句を先に述べてしまいましたが、
地元の歌人に弟子入りし、日夜、歌詠みに精進していた、
富裕商家のお内儀、小野宅子さんと桑原久子さんと同郷と思われる他二名。
大変、バイタリティ溢れる勢いで、日本半周のにぎやかな旅を展開されております。
田辺聖子女史は、古典の翻訳本も出されているので、宅子さん久子さんの詠む、
折々の歌にも、その歌の背景、誰の歌を引用したものか、歌枕などの解説も
平易で適切な、解説が堪能できます。
さて、何故、「他二名」なのか。
それぞれ旅日記を残した、宅子さん、久子さん(久子さんは「二荒詣日記」を残している)
「他二名」については、その旅日記の両方とも、名前を記しておりません。
そして、彼女らのルートを見てみると、明らかに関所を回避しています(爆)
いわゆる、違法な部分があったようで(^^;)差し障りが無いよう、
宅子さん、久子さんとも、名前を書き記さなかったようです。
こういった、掟破りをしつつ、それでも四人の女性が、御供を連れながらとは言え、
150日にも及ぶ旅が、楽しめたのは、江戸時代後期ならでは、でしょう。
江戸幕府。組織としては、終焉の予兆は見えておりましたが、
システムは、まだしっかり機能しているからこそ、庶民が、安心して、旅を楽しめる。
そのような、ほっこりした時代でした。
その少し後には、幕末動乱期が待ち構えております。
しか~し、生粋の大阪第一主義の田辺女史の手にかかると、
すべての事柄は、江戸悪、江戸暗黒時代、あー、しんど。
大阪ええとこでっせ、うまいもんぎょーさんあるし。の描写で埋め尽くされます(^^;)
庶民文化が花開いたのは江戸時代であり、その爛熟した様子を「東路日記」から
克明に描写しながら、ことあるごとに、「窮屈極まりない、悪辣江戸幕府の暗黒時代」
と高らかに主張(^^;;)
上方には、確かに素晴らしい文化がありますけれど、何も、江戸sageしなくても。
そして、それが、東路日記を記した宅子さんの意思とも思えないのですが。。。
旅先の人に家からちゃんと為替が届き、旅を続ける資金となる。
土産物が、ちゃんと筑前の家に届く。
女性主体のグループが、日本半周に近い、物見遊山の旅が出来る。
江戸幕府が、日本歴史上最善の政治機構とは申しませんが、
一方的な「お江戸憎し」の主張が、内容に矛盾を来たしております。
無論、そういう旅が出来ない、苦しい生活の人々の姿や、
道中で、怖い目にあった部分もきちんと、宅子さんは書き残しておりますが。
随所に同時代の旅日記、清河八郎著 「西遊草」 なども引用され、
それらと宅子さんたちとの旅の様子を見比べるのも、また一興です。
嬉々として、芝居見物をする宅子さんたち。
同行の御母堂のため嫌々芝居見物する清河八郎とか(爆)
ともかく、庶民文化の豊かさと、彼女らの自立ぶりが堪能できます。
旅の途中で、二手に分かれ、自分の見たいものを見て、約束した所で落ち合っては、
再会の喜びをそれぞれ歌に詠む、宅子さんと久子さん。
こうして、江戸時代の文化の一端を楽しませてくれつつ、
・・・最後に、清河八郎さんの最期も含めて幕末動乱の様子を、
延々と、司馬遼太郎「竜馬がゆく」を引用しながら解説してくれております(泣笑)
まぁ、そういう部分を割り引いても(^^;;)
江戸時代の女性の旅の様子や庶民文化の一端が楽しめる作品であります。