恋は散りふる花 (*^^*)
2009年 06月 02日
スキンを乙女チックに変更したので言ったまでのこと。
わ~れ~こ~そ~は~ブラック・乙女・弾正ぢゃよ♪
だれぢゃ?なんかキャラ変わってねえ?と申したのは?
だれぢゃ?また、お前か。と溜息をついたのは??
「兵は詭道なり!」これが我が生きる道しるべぢゃ。
まあ、臨機応変ってヤツ(ち、違うか??^^;)
さて、今回また赴いてきたのは、最近、ここのブログびと。
「リューザキ弾正」と名乗りし者と、わし高坂弾正の関連性を尋ねるお人がいたのぢゃ。
よって、わしが説明して進ぜようv(^^)v
我が名は、高坂弾正として知られておるが、実際は、春日虎綱と名乗りし時代の方が長かった。
ちなみに、「高坂」ではなく、「香坂」が正しいとされておる。
真田氏同様、滋野一族の流れを汲む信濃國の豪族が、「香坂氏」ぢゃ。
武田の御屋形様の御下命により、春日氏のわしが香坂氏の跡取りとなったのぢゃ。
しかし、天正年間、残念ながら、武田家滅亡。
ここで、春日・香坂氏は、分派しておる。
甲斐國の石和に戻りし、春日姓の一派。信濃國に留まりし、香坂氏の一派。
香坂氏の一派は、上杉に身を寄せる者あり、信濃から動かざる道を選んだ一派。
そして、信濃國から、西国へ流れていった一派がおった。
リューザキ弾正、と名乗りし者は、この西国系の流れの末裔と言われておる。
さて、西国へ流れた一派は、大部分が現在の鳥取県に定住した。
しかし、そこから更に西へ、安芸郡に赴いたのが、リュー弾の一派ぢゃ。
近年、鳥取高坂の当主が亡くなりし折りは、
リュー弾の叔父が呼ばれて相続放棄を頼まれておる。
しかし、話はここで終わっておらん。
リュー弾の祖父は長男でありながら、継母となりし二番目の母御と折り合いが悪くての。
意を決して、関東に出兵したのぢゃ(上京したって、ことネ^^;)
それが、大正時代のことである。
天正時代から、大正時代まで紆余曲折があったが、
こうして、リュー弾一族は関東に戻ってきたのぢゃ。
そうそう、もうひとつ、重要なことを忘れておったわ。
「高坂」と「香坂」のことだが、我らの間では、正式は「香坂」であると認識されておる。
しかし、江戸時代に帰農せし折り、香坂→高坂に変更したと言われておる。
それでは、バイっちゃ♪(^^)/