暑い夏が来る度に…
2009年 08月 03日
そろそろ、本能寺の変かなぁ (-_-#)
さて、今回は、へめぐり経験のとある思い出話です。
梅雨明けの際、記事にする予定が、大雪山系で、遭難事故があり、見送っておりました。
小田原の北条の領地探索も兼ねて(嘘)
母と登山仲間から、小田原市の、わりと初心者コースと言われる
山登りの御誘いを受けました
私の学生時代、ダルくなるから水は甘利のむな!そういう間違った指導がなされてました。
無芸大食仲間の我が母、考えてみれば、最終的には、20年の登山歴がありました(汗)
逆に、ですので、彼女は水分補給の重要性を
知っている訳です。
ただし、我が子が古色蒼然とした知識しか持ち合わせていないことは、
想定外でした。
ちょうど、梅雨明け当日でした。
ストレッチをした後、山登り開始。
照りつける日差し。木陰のほとんどない、むき出しの山道。
ひとつの峰を踏破して、昼食タイムになりました
やはり、照りつける中での食事。
情けないけど、これ以上は無理だと思いました。
仲間は、もうひとつ先の峰へ。私と母は、踏破した峰からの下山コースを選びました。
やがて、私は、歩行に異常を来たし始めました。
フラフラと歩き、やがて何度も転倒する様になり…やがて立ち上がれなくなりました。
「あと、もう少しだから…」立たせようとして、私の手首を掴んだ時、私の体温が異常に熱いのに気づき母は、事態を悟りました。
彼女は自分の水筒の水を私の頭に注ぎました。
ここから先、私の記憶は飛んでいます。
携帯電話の無い時代でした。母は下山路を通る人ごとに救援連絡を頼みました。
ある人は、手持ちの水をある人は、身体を冷やすための物を
母というか私に譲って、救援連絡の旨を頼まれてくれました。
母は、その度ごとに、土下座をして頼んだそうです。
私は、レスキュー隊の救助を受け、
麓に待機していた救急車で、病院へ搬送されました。
「私は、貴方を殺すところだった」
母は、今でも、こう表現します。
よく、冒険は、無事に家に帰って来た時に、「成功したと言える資格を持つ」と言います。
登山も、山を登り、無事に降りてこそ、です。
自分の力に見合う範囲で山を楽しむのが一番です
しかし、それを見極めるのが難しいのが登山です
どんなに準備万端に整えていようと、
私の様に、知識ゼロで無謀に挑戦しようと、
事故は起きる時、起きます。
自然を相手にしているものですから。
生きて帰って来れて良かった。
ただ、そう思うだけです
先の峰を目指した、母の友人達は、下山した後、事態を知って驚き、しかし病院に人数押しかけるのも迷惑になりますから代表して、ひとりが訪れました。
そして、病室で意識を回復した私に、目に涙を溜めて、こう言いました。
「また、一緒に登ろう」
翌年、私は、体力をつけ富士登山を果たしました
夏には、いろいろと複雑な思いがよぎります。