古府へめぐり旅行~その2~
2009年 10月 28日
(前回までのあらすじ)
艱難辛苦の末、リューザキ弾正は、ついに、要害山麓に到着したのであった!
↑また、ざっくりした説明・・・ (^^;)
リューザキ弾正は、朗々と吟じながら、軽快に山道を登り始めたのであった。
♪コッペパーン、ジャムぬったら、ジャムパーン(爆)
実話でございます(゜∀゜;ノ)ノ
しかし・・・元気が良かったのは、最初の10mほど・・・
武田四弾正(あれ、1個増えてるよ~ ^^;)のひとり、
ヘタレ弾正は、早々にバテたのであった(;´▽`A``
この要害山城の特徴は、大小様々な曲輪が
数多く点在していることです。
兵舎、武器庫などが置かれていたようです。
各曲輪前には門があり、
盆地内の躑躅ヶ崎館の背面に設えられた、
この山城の機能を印象付けています。
リューザキ弾正、よくここまで参ったのう♪
頂上まで、あと少し・・・と言いたいところぢゃが、もうちと登るぞ♪
緊急しぇるたー機能のこの山城、甘く見るでないっ!(`・ω・´)
※要害山中腹の「武田不動」さんです♪(注:不動像自体は、江戸時代に据えられております)
情けないことに、すっかりバテバテ(-""-;)
しかし、道はきちんと整備され、
間違いやすい箇所にはリボン(ピンク ^^;)で道しるべがしてあり、
親切な山です。ビバ!山梨(笑)
いいかげん疲れて、ここで朽ち果ててやろうか(をい!)と思ったのですが・・・
紫色の綺麗な蝶が出現。もうちょっと、頑張る気力、いただきました♪
(どんだけヘタレなんだ、わたし・・・ ^^;;;)
蝶に導かれるように辿りついた、頂上の主郭部。
ここで出迎えて下さりしは・・・ 板垣殿!!い~た~が~きぃ!!
とんぼが、飛びまわっておりました(;_;)
蝶同様、何度か写真を撮ろうとしたのですが、
事務所を通して下さい、と拒否られました(笑)
主郭部、ここ頂上にあった館で、
武田信玄公は誕生したとされております。
積翠寺さんは、「この寺で」としてますが、躑躅ヶ崎館からの
距離的に見れば、どちらも、アリだと言えます。(私の印象では)
「武田信玄公生誕之地」の碑にございます♪
リューザキ弾正、御苦労であった。苦しゅうない、もそっと、近こう(^^)
有り難き幸せ♪(^^)
ちなみに、この碑の揮毫は、
明治の東郷平八郎の手に寄るものです。
彼は、武田軍学に心酔し、
日露戦争の勝敗を分けた、「東郷ターン」は、
武田水軍の戦法だと言われていました。
(現在、ほぼ否定されていますが ^^;)
実は、この堅堀跡撮影中に、あわやの事態が。
一番やってはいけないことなのですが、杖を体に寄り掛けて、この堀を撮影していたのですが、
杖が倒れ、杖がそのまま堅堀へ落ちそうに(>_<)杖先をなんとか掴み、要害山に杖進呈、と言う事態にはなりませんでしたが、杖を掴もうとバランスを崩せば、私自身も危なかった訳です。
下山途中で(登っているさなかでは景色眺める余裕ナシ ^^;)
要害山中腹から望む、甲府盆地でございます。
武田の多くの武将が同じ眺めを 見たことでしょう(感慨)
この旅で、一番の難関、要害山城詣でを達成した、リューザキ弾正(感涙)
しかし、このあと地獄の行軍が待っていようとは、思いもしないのであった・・・(つづく ^^;;)