あの日は、暑かったそうです。
2010年 08月 16日
最初に、武田家滅亡から、話が始まるのですが・・・(すいませんねー)
武田家滅亡後、K坂家一族は、幾つかに分かれて行動しております。
甲州・石和に戻る、春日系。信濃に留まる、香坂系、そして西へ向かう香坂系。
当家は、この西へ向かう香坂系に含まれます。西国系香坂は、鳥取に落ち着きます。
その後、当家は其処から更に枝分かれして、安芸之国に行き、居を構えます。
ですので、祖父の本籍地は広島でした。
ちなみに、石和春日の一部も含めて、江戸時代、帰農する時、
「香坂」の苗字を「高坂」にしております。
さて、戦争が激しくなり、祖父は、故郷の広島に、祖母と母たちを疎開させました。
八月のある日、広島市内で異変が起きます。何か、起きたらしい・・・
広島の山間にも、そのような噂が流れます。
また、被災されて、それでも生き残られた方が、村落に逃げてこられました。
祖母は、その被爆された方の怪我具合を見て、のちに「せっかくここまで来たけど・・・
あの日いっぱい、生きられたかどうか・・・」と、母に語ったそうです。
そして、祖母は決心をしました。これは、負けだ。皆、死ぬ。どうせ死ぬんだったら、
生まれ育った、横浜で死にたい。祖母は子供たちと共に、苦労して、
なんとか、横浜に帰ります。
横浜の夫(我が祖父)の家に行くと、祖父が広島へ祖母たちを迎えに行く支度を
してました、祖母の母・お艶さん(男性遍歴はピカイチ ^^;)が、娘婿のために、
旅のための弁当をこしらえているところだったそうです。
祖父も広島で何か大きな爆弾が落ちたらしいという噂を聞きつけておりました。
居ても立ってもいられず、家族を広島に迎えに行く決意をしておりました。
一日違っていたら、すれ違いになっていた所です。
その日の、正午に、玉音放送がありました。
あの日は、暑かったそうです。