リュー弾の開封出来ないディスク~スカラ座の「オテロ」~
2012年 03月 22日
阿部寛さんとか、モニターチェックもされない俳優さんもいるとか。
音楽家の中にも、過去の演奏のテープ、映像を見ない主義の方がおられます。
自分の「過去」の演技や、演奏に捕らわれたくないと思いのようです。
それとは、たぶん違った意味合いで・・・リュー弾にも、
買ったけど、観てないディスクが一枚あります。
ヴェルディー作曲
歌劇「オテロ」
主演 プラシド・ドミンゴ
指揮 リッカルド・ムーティー
ミラノ・スカラ座にて2001年収録
イタリア・オペラの最高傑作と言われる、ヴェルディ作曲の「オテロ」
ヴェルディは、過去何作かシェークスピアの戯曲のオペラを手掛けていますが、
それが、どれも傑作。修業時代、本人も好きでシェークスピアを研究していました。
歌劇「アイーダ」が大成功し (サッカー関連で、「アイーダ行進曲」が有名ですね)
直後、レクイエムを作曲し、これまた大傑作。
(モーツァルト、フォーレ作曲のレクイエムと共に「三大レクイエム」と称されております)
自分の音楽家人生、これでいいかぁ~。と思いかけた巨匠が、
周りに説得され、シェークスピアの「オセロー」のオペラを発表した時、74歳。
前作「アイーダ」とは5年のあいーだが、空いていました(駄洒落陳謝)
隠居していても、おかしくない年齢。本人も隠居する気満々。
ところが、出来上がった作品は、本人の一大傑作どころか、
イタリア・オペラを代表する傑作となりました。
さて、2001年12月。
9.11の余波が冷めやらぬ中、リュー弾は、
ミラノスカラ座での久々の「オテロ」上演を聞き、観劇のために機上の人となりました。
「オテロ」の名演は、数々ありますが、そして、それを記録したディスクもありますが、
この公演自体も、この時代の総力を結集したものだったと思います。
実は、リュー弾が、平土間の観客となった夜は、大問題が発生した日でした。
主役のプラシド・ドミンゴが、二幕目。歌の途中で、「すみません。歌えません」と、
詫びて舞台をから降りました。彼の歌っていた部分の直後に高いb音があるのですが、
自分で、その音が出せないと判断したのでしょう。
この緊急事態に劇場騒然。
観客は、拍手をし、ドミンゴの再登場を促します。
指揮者は、オケピからすぐさま走って、主役のテノール歌手の元へ。
舞台に残された、敵役ヤーゴも、観客と一緒に拍手し、オテロを待ちます。
やがて、指揮者が戻り、ドミンゴ氏の体調についての事情説明の後に
「主役はドミンゴ氏のままで、公演続行」と宣言。
劇場から歓声が沸き、あちこちから、「グラッツェ!(ありがとう)」の声。
再登場したドミンゴ氏が、客席に一礼したのちに、公演は継続されました。
こうして、オテロは戻り、ヤーゴの奸計に引っ掛かり、デズデーモナを絞殺し、
無事に(?)オペラは終了しました。
二幕目のハプニング以外(それ以降、b音は、すべて飛ばしましたが)
素晴らしい演奏でした。と、思っております。
音楽も歌も、各人の演技も演出も。
翌日、イタリア恒例のスト突入により、次の公演は中止。
結局、私がミラノで見た、オペラは、この伝説の夜の「オテロ」一度きりでした。
その後、上記のように、ディスク化され、購入したのですが・・・見れない。
生で観た感動をディスクの視聴で再びえられるのか?・・・
思い出は、とかく美化されます。
記憶の中で真実以上に名演と書き換えられたものが、あるかもしれない。
観て、ガッカリしたら、どうしよう・・・
うだうだしているうちに、10年の歳月が流れました(笑)
そろそろ、封印を解いてもいいかなぁ~と思い始めてます
10年も経っていれば、美化の澱も底深く沈殿し、影響しないかもしれません。
・・・であることを祈る(^^;)