いざ!川越城本丸御殿へ☆川越へめぐり完結編☆
2012年 10月 11日
晴天に恵まれた5月某日、リュー弾と母・弾正は、川越をへめぐったのであった。
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中ノ門堀跡からてくてく歩いて、本丸御殿に到着!
本丸御殿HPは、コチラ ※
実は、この写真。
本丸御殿付近周辺探索の最後に撮りました。
到着時は、日差しが強すぎて、
映しても真っ黒け(^^;)
この日は、天気が良すぎて、
すっかり干からびましたよ~
(当日、川越27℃)
本丸御殿之絵図。
図の右側の赤い枠線部分が現存していたところです。
川越城は、太田道灌が最初に築城し、後北条(嗚呼、河越夜戦)
そして徳川の世に移り、知恵伊豆@三代将軍家光の時代。
引っ越しの酒井さん&柳沢吉保さん。やがて、越前松平家。
その後の川越藩の栄華が感じ取れます。
玄関と大広間、家老詰所が現存する部分なのですが。。。
玄関が日差しで1枚目の写真のとおり。
そして、大広間は、当日、観光協会みたいな方たちの軍議が
車座で開かれておりました。(大広間は元々、撮影禁止です)
その隣の物頭詰所の、そのまた隣では、子供たちの茶道体験会が開かれておりました。
つまり、ゆっくり見られませんでした(笑)
越前松平家の威信を見せつける葵の紋の入った瓦。
そういえば、本丸御殿の一部で、「JIN~仁~」の撮影が行われたのでした。
(パート2の方です)
「おい、上の、<ざっくり川越城史>で、秋元さんの名前忘れておるぞ!」
「御成御殿の意味合いがあったこととか、書けば良いものを・・・」
「嘉永元年、藩主が暮らしていたけど燃えちゃった二の丸の替わりに建てたこと、
三間ある大唐破風が見えにくいガッカリ写真なことも述べるべきじゃな」
はいはい、家老さんに責められつつ、More機能へ いざ!(^^;;)
地図だけでは迷うから(爆)本丸御殿の見学案内の係員に、道を確認して、
炎天下に富士見櫓へと赴きました。
迷って辿り着いた道標(^^;;)
説明も地図も無意味なサバイバルに不向きな性格(爆)体力をかなり使いました(^^;)
← 迷うあなたの指標となります(笑)
少し回り込むと登るための石段があります。
階段を登りきると・・・
しかし、うっそうと樹木が青々しく生い茂り、往時の見晴らしは臨めませんでした。
富士見櫓の足元の隣り合った場所に田曲輪門跡があるのですが。。。
こんな写真、というか、コレしか残っていませんでした(爆) ↓↓↓↓
すみません、すみません、すみません。お目汚しと相成りました
伝統舞踊のお披露目がありました。素晴らしい迫力がありました。
立って舞うところと写真のように低い姿勢もあり、かなり体力を使いそうです。
川越へめぐりのラストに、良き花を添えてくださいました