武田軍の足軽大将リューザキ弾正、通称リュー弾♪またの名をカラボリーナ・ドルイスカヤ(爆)最近、草弾師匠という官位(笑)も授かりました☆ 諸国、諸時代、諸かるちゃーを 徒然なるままへめぐります


by リューザキ弾正
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御前の外の人が語る、リュー弾のジモトの歴史 「江戸城刃傷事始め」


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リューザキ弾正の、ジモトの歴史と云うと、鎌倉か幕末であったの。
しかし、もちろん江戸時代の歴史もある。
ちょっぴり、わしも、「甲子夜話」で語っておる。

江戸城における、刃傷沙汰と言えば、
浅野匠頭、田沼意次の息子(被害者)など、

幕末までに、7件ほど、記録されておりますが、

江戸城における、最初の刃傷沙汰は、三代将軍家光の時代に起きております。


豊島明重は、老中井上正就の嫡子と大阪町奉行の娘の婚礼話の仲介をします。

しかし、春日局が「上意」として、家の格がより上の娘との話を持ち込み、

結局、彼の世話した話は、婚約まで整っていたにも関わらず、破談状態。

面目丸つぶれとなった豊島明重は、江戸城で老中井上正就を刺殺。
その場で切腹。

豊島家では、嫡男も切腹で御家断絶。
一族処罰にならなかったのは温情だったようです。

ちなみに、大阪町奉行も世間を騒がした責を負い切腹してしまいます。

御家断絶となった豊島氏の名前は、室町時代の領地であった

東京都豊島区に残っております。

その豊島氏は、忍城籠城に参加(異説あり)、後北条滅亡の後、
徳川家康に仕官。

今の横浜に所領を得ました。秀忠時代に御目付役を拝命。

秀忠には深い恩を感じていたとも伝えられております。

しかし、家光の時代に御家断絶。。。しかも春日局の横槍で。

さて、江戸城最初の刃傷事件。
松浦静山は、林述斎(次男が、アノ鳥居耀蔵!)から、

このこと関する話を聞いて、「甲子夜話」に載せております。

「林話に、武州の金沢と杉田の間に富岡と云あり。

その処に瓊珊寺(慶珊寺のこと)云あり。豊島刑部が父、
菩提の為に開基せし寺にて、
瓊珊とは、即ち父の法号なりと云。

寺の辺の田畠は豊島氏の旧知なりとぞ。
刑部が柳営に於いて執政井上河州を刺したること世を挙げて知る所なり。
其余の事跡は誰知る者もなし。
然るに、先頃、或人遠馬に出て

其辺に行き、瓊珊寺に立より見ばや迚馬を馳せしが、
寺門は波打ちぎわに臨み、折ふし進潮なりしかば、
総構の中に小なる入口あるを見付け、畠道を越してその所より入るべし迚、
馬を乗入ければ。農夫鋤とりてありしが、大に怒り、
こヽは、瓊珊寺の地なるを、何者か馬を踏入るやと云えば、
或人答るに、余事に非ず。其寺に詣んとする者なりと言しかば、

農夫俄に顔色欣然、頭にかむりたる手拭をとり、
馬前に啓折して、もし豊島家の御子孫には無きやと云。
或人左にはあらずと云ふに、何にもせよ案内申さんとて、馬前に立、
境内に導き入る。寺僧も出迎ひ墓処へとほす。
刑部の父の墓は云迄もなし。刑部の墓も同所にありとなり。
軈て寺に至れば、村役人始め村民等寄て種々もてなし為しとなり。
是に因てみれば、刑部もとより非常の人なれば、
其旧知の民、今日に至りても永慕するの念絶えざる歟。
去ればこの余にも事跡の見るべき人ならんと、牀敷く思へども、
断家のことなれば
復更に探るべき道もなし。歎ずべし」

「甲子夜話」十三巻十四節



胸熱だなぁ~(〃∇〃) 御前と林述斎の会話に我がジモトが出て来たなんて。
それでは、現地からのリュー弾のリポートをどうぞ(笑)






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花翁山慶珊寺です。

花翁は、明重の父の法名、慶珊は母の法名です。
門脇に、案内板が建っておりました。

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中に入って案内を請いましたが、御留守のようです。
自助努力で、供養塔を見つけました(^^;) ええ、墓地を彷徨いました。
 
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江戸城で刃傷沙汰、切腹→お家断絶ですが、豊島明重は地元で慕われていたのでしょう。
こじっかりした供養塔がそれを物語ります。

慶珊寺の門を出た右には、別の記念碑があります。

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まさに、モノリス・・・



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by salieri777 | 2014-07-17 06:45 | ジモトのレキシ♪